メンバープロフィール

代表取締役社長

横塚 雅章

Masaaki Yokotsuka

コンサルタントは天職だと思っています。仲間と一緒に夢ロマンの実現に向けて、明るく、楽しく仕事をしています。

プロフィール

生年月日 1963年8月14日生まれ 東京都江戸川区平井生まれ
星座・血液型 獅子座 O型
利き手 左利き(筆記と箸は右ですが、その他のことは全て左です)
最終学歴 立教大学 経済学部経済学科 1987年(昭和62年)卒業
家族 妻(蓼科でカフェを経営しています)、長男
尊敬する人 両親、坂本龍馬
座右の銘 やってやれないことはない。やらずにできるわけがない
いつも前向きに、明るく、楽しく
嫌いな言葉 疲れた、忙しい、暑い・寒い、大変だ、難しいなどの泣き言
好きなアーチスト いきものがかり、小田和正
趣味 仲間と夢ロマンを語ること、美味しい肴でお酒を飲むこと、読書、
コンサート・映画鑑賞、ドライブ、ゴルフ、剣道初段、
書道を復活させようかな…そして仕事
得意なコンサルティング分野
  • 中小企業における事業承継コンサルテーション
  • 金融業界における組織変革・マネジメント強化コンサルテーション
  • 戦略上位概念から戦略策定への展開コンサルテーション
  • サービス・マネジメント体制創り(CS向上)コンサルテーション
  • 目標によるマネジメント体制確立コンサルテーション
  • プロセスコンサルテーション
  • 面白おかしく活気のある経営者セミナー
所属団体
  • 日本ファシリテーション協会 会員
  • ODネットワークジャパン 会員
  • 日本サーバントリーダーシップ協会 会員
  • ポジティブイノベーションセンター 会員
  • 立教経済人クラブ 会員
  • 田坂広志 田坂塾 会員
  • いきものがかりファンクラブ 1年2組 会員
修了した主な講座
  • ウィル・シュッツ博士 セルフエスティーム向上講座 アドヴァンストコース(2002年)
  • 慶應義塾大学ビジネススクールMDPコース(2007年)
  • H R D 株式会社 DiSC®認定セミナー(2014年)
  • シックスセカンズジャパン社 国際認定資格EQPCプラクティショナー認定資格セミナー(2014年)
  • マーシャル・ゴールドスミス博士 ビジネスコーチ養成特別講座(2018年)

私の人生の棚卸し 〜もし興味があればお付き合いくださいね。

1963年(昭和38年)

幼少時代
東京都江戸川区平井に小松川信用金庫 勤務の父と専業主婦の母の長男として生まれました。
非常に幸せな家庭でスクスクと育ち、平井聖天の明聖幼稚園では運動会の行進がうまかったので行進博士として園旗入場を任されました。常に目立つことが 大好きで、友達を集めて基地を創ったり、楽しく遊びまわっていました。

1970年(昭和45年)

小学校時代
東京都江戸川区立小松川小学校に入学して、野球が大好きで、王貞治選手の熱狂的ファンでした。
スポーツは大好きで、体育は高校までずーっと「5」でした。
その他はタイガーマスク、マッハGO!GO!、フィンガーファイブなんかに熱中していました。
剣道と書道を始め、両方とも有段者です。6年生においては児童会長としていろいろなことに取り組みました。

1976年(昭和51年)

中学時代
東京都江戸川区立小松川第二中学校に入学して、剣道部に入部しましたが、生活の主体は生徒会でした。選挙で勝つ喜び、人のために尽力する喜びを味わい、3年間「学校のために」と生徒会役員と一生懸命活動しました。
この頃は榊原郁恵ファンクラブに入り、熱心に応援していました。宇宙戦艦ヤマトにも熱中していました。生徒会、剣道、勉学に有頂天に励んでいました。生徒会を中心とした仲間に巡り会い、人生の友を得ることが出来ました。

1979年(昭和54年)

高校時代
内申書が非常に良く、高校受験は何の心配もなく東京都立61群に合格しました。この頃の都立高校は群制度が取られており、越境も出来ずどの学校に回されるかわからない制度でした。私は両国高校に行きたかったのですが、墨田川高校に回されました。今思えば私の人生にとって良かったと思います。

父から「お前は順風満帆な人生で挫折を知らない」と言われたことが契機となり、一番厳しいと言われていたバレーボール部に入部しました。朝練、昼練、そして夕方は遅くまで練習の上、部室で先輩からのビンタ、声出し、コンクリート上でのフライングレシーブなどしごきの毎日でした。今では大問題になるような状況の中で、私がキャプテンとなり方針の大転換をしました。足の怪我により結果としては途中退部になりましたが、私の人生においてインパクトを与えた2年間でした。
その後は友達と集い、日本を熱く語り、政治を語り、人生を語り、恋を語りました。硬派を装い、女の子と付き合うことはありませんでした。相変わらず榊原郁恵の応援に没頭していました。音楽は、オフコースを聴いていたのと、ラジオでは「ビートたけしのオールナイトニッポン」にはまっていました。数学が苦手で赤点をとったりして成績は悪かったので、大学受験に通る学力ではありませんでした。当然のように1校も合格せず、浪人生活に突入しました。

1982年(昭和57年)

浪人時代
高校時代の先生の紹介で、河合塾千駄ケ谷校に入り、真面目な浪人生活がスタートしました。早稲田大学に入学したいという想いから、6月から「臥薪嘗胆でベットには寝ない」ことを心に決め、実践し、第一志望の早稲田大学には合格しませんでしたが、立教大学経済学部経済学科に合格することができました。

1983年(昭和58年)

大学時代
大学時代は浪人時代の艱難辛苦から解き放たれて、勉学というよりは遊びまくりました。ゴルフ部(スウィートスポットゴルフクラブ)に入る傍、クラスメイトと合コンクラブ(パームツリー) を結成し、合コンやスキーに興じました。段々にゴルフへ軸足をシフトして行き、ファーストキッチンでの早朝バイトから、ゴルフトーナメント、ゴルフショップ(池袋グリーンフォーカス)、キャディのバイト(軽井沢サニーカントリーゴルフクラブ)などに多くの時間を費やしました。その中でゴルフ部の後輩(今の奥さん)と付き合い始め、生涯の伴侶を得ることができました。
気が早い性分の私は、大学3年の春から就活を始めました。当時の就職協定は4年生の10月からという時代でしたので異例の早さでした。自分の市場価値を高めてくれる業種を探しました。そこで27年間お世話になったコンサルティング会社に巡り会い、その時会社説明をしてくれたのが私の生涯の師匠であるK氏でした。「来年来たら入社させてあげるから、残りの学生時代色々な経験を積んできなさい」と入社合格をいただきました。凄い会社、凄い人との出会えた喜びで、入社を即決しました。

1987年(昭和62年)

若手社員時代
予定通り入社させて頂き、箱根での楽しい合宿導入研修を経て、入社式での配属先辞令は、東京営業部(本社)でした。地方勤務を覚悟していたのに加えて、憧れのK氏の直属の部下としてのスタートです。
営業活動の基本を学ぶためにまずは飛び込み営業。ノルマは名刺10枚獲得。そのためには軒並み100社は飛び込む毎日。どんどん同期が初仕事を決めて行く中、私の初仕事は10月でした。K氏に「人事部門に行ったら仕事は決まるかもしれないが、焦らず行き先は経営企画部門に行くように。そしてセミナーのパンフレットは出すな。研修屋じゃないのだから」この言葉が私のコンサルタントとしての土台を創ってくれたと思います。同期の仲間にも恵まれ、楽しく厳しいコンサルタント修行時代を過ごせました。

1991年(平成3年)

営業所長時代
戦略を実行するためのOD(組織開発)理論の必要性が段々に腹落ちして行きました。新宿営業部への異動を経て大阪の新設京橋営業部の所長として意気揚々と大阪に転勤をしました。しかし3年間鳴かず飛ばずでした。降格かと思いましたが、仙台営業部の所長として再チャレンジのチャンスをもらえました。大阪でダメだったのだから逆の発想で思考し、頭でっかちで考えてばかりいたので活動量を3倍にしました。業績はどんどん上がりました。その時の仲間とは今でも強い絆で結ばれています。
その後また東京に異動して営業幹部として色々なことを学び、憧れのコンサルタント部門へ移籍しました。

2000年(平成12年)

コンサルタント時代
念願のコンサルタント。月のうち20日間のホテル住まい、土・日もなく年間10日しか休みがなくても全く苦痛とは感じませんでした。家族には大変寂しい思いをさせたし、両親にも親孝行ができずに後ろめたい気持ちがありましたが、充実した14年間を過ごしました。
海外のカンファレンスや視察にも沢山行かせてもらいました。
色々な資格も取得しました。
セルフエスティームの大家ウィルシュツ博士のトレーナー養成講座や慶応大学院ビジネススクールMDPコースも修了させてもらいました。
そして全国を飛び回り、毎年クライアントが増えていき、コンサルティングスキルも上がりました。その数多くの経験が大きな肥やしとなっています。このような機会を与えてくれた会社に本当に感謝致しています。

2013年(平成25年)

退職、そして起業へ
2013年3月5日右足小指から入った菌が骨から身体中に回り激痛で緊急入院。主治医からは右脚切断の宣告を受けました。
1987年から27年間会社のため、自分の夢の実現のために東奔西走して頑張ってきましたが身体が悲鳴を上げたようです。
人生初めての入院生活(40日間)の中で、自分自身をリフレクト(内観・内省)し、自分に向き合い、自分の夢・ロマンを再確認し「右脚切断なら、義足のコンサルタントとして全国行脚をする」マインドセット(決心)をしました。
後ろ向きになりそうな感情を前向きな感情に変革出来たことが奏功したのか主治医曰く「奇跡に近い」回復を勝ち取り、右足小指切断に止めることが出来ました。それを支えてくれた妻、両親、仲間達に感謝します。
レジリエンス(復元力)の真の意味合いが分かった気がします。

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